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変わっていくこと

今回の作品は8月の再演だけれど、そのリハーサルを通じて、あらためて身体って変わっていくんだとな感じています。
8月のときにやっていたことを、そのままやろうとしても、何か違う。
気持ちと身体がいびつな感じになってしまう。

うーん、、、と考え、一度前回はこうしていたから、という気持ちをとっぱらってみようと思った。
「こうだった」というのが、何か枠になって制限をくわえているように感じたのと、
この作品にはまだ先に深さも広さも可能性があるように思えた。
あのときに自分の心に強くあった気持ちや動機が変化したのか、
もっと自分の奥におりてきたのかは、まだわからないけど、
上本さんとやりとりをしながら、前回とは違う質感がうまれてきました。
そして、そのほうが今の身体にはしっくりくる。

既に形のあるものを、もう一度とらえなおしながら、1つ1つのシーンをはっきりさせていきたいと思う。
作品について、自分の中から出てきた言葉をかみしめながら、その奥にあるものを見つめていきたいと思う。

言葉って不思議だなと思う。
自分でいった言葉も、距離をおいてみてみると、「どういうことだろう」って思ったり、
その奥に何かひろがっているように感じる。
言葉は本質の先がちょこっと顔をだしているようなものだと、何かで読んだことを覚えている。

『「黒」をさかいに「ここ」と「むこう」がある。
「現実」と「空想(幻想)」をつなぐ身体。』

鈴木さんの絵と対峙して、作品を作る中ででてきたたくさんの言葉たち。

触る、記憶、現実、物、落ちていく物、あいだ、ひろがり、循環、変化、。。。

黒、ということを考えていた時、
西川さんが「混沌」という言葉について、
「混沌」って不安定であまり良い意味合いでは考えられないけど、その定義って
「すべてが入り混じって区別がつかないさま。」のことで、ということはすべてのものがそこに存在しているということだよね、と。

そうだなと、おもう。

音とダンス、身体の重さ

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音楽チームとリハーサル後に大戸屋でリハーサルの意見交換や確認。
こうして終わった後にゆっくりお互いの感じたことを話す時間があるのは、
とても恵まれているなと思う。
何かと時間におわれて、お互いの感じていることをじっくり聞くということができないことも多かった。
こういう会話の中にもにたくさん発見がある。

先週一緒に練習にきてくれたパーカッションのマメちゃんが、
この前のリハーサルで見つけたことを、
音の鳴る瞬間って身体の重心が移動する瞬間なんだということを思ったといっていました。
自分の重心移動と、それによって鳴る音と遊びながらやりたいと思うという話しをきいて、
私がダンスのとっかかりとしてやっていることとつながってなんだか嬉しいように思いました。

自分が迷わないように自分が夢中になれる軸を見つければよくて、
それは人それぞれポイントが違う。
自分のだす音に迷わないないために自分の軸をつくる。
人にあわせるのではなく、人のだしてきた音や世界観に自分で解釈して、
その解釈をもって堂々と音を出す。そんな話をPAの川久保さんがいっていました。
ダンスで、私もぶつかってきたことと同じだなと感じました。
演出家と振付家のときや、振付家とダンサーのときや。
舞台にたつのは自分で、そこにいる自分が納得できていたり、集中できなかったりすると、何もうまれない。

その日、演出の上本さんにすすめられて、茂木健一郎さんの本でジャズピアニストの山下洋輔さんとのインタビューを読んでいました。
即興演奏のなかで、自分でもわからないところに「踏み越える」瞬間がないと曲が終われないという話があって、そこに、観客と演者の「共感回路」という話しがでてきました。
演者自身が満足感を感じているものが、聴衆にも伝染する。演者が満足できてないときは、聴衆も満足できない。
心にとめておこうと思うことでした。

あとは、音楽チームの話しを聞いていると、「曲がもちあがった瞬間があった」ということを、みなが認識しているようで、その感じは私は踊っていて、みんなのように「あそこでしょ」とはわからなくて、
音にたよるわけではないけど、次回はもっと音に感覚をのばしてみようと思いました。

稽古日誌3

今日はパーカッションのマメちゃんがリハーサルにきてくれました。
最初に一緒に身体ほぐしをしました。
マッサージをしあったり、相手の手がふれたところに呼吸をおくるワークや、
触れられた2つの点と点を身体の中でうごかしたり、
私がクラスで教えている簡単なエクササイズを紹介したり。
はじめて意識したからだの部分があったりしたようで、
そのあとで楽器を使うときにもいろいろ応用してくれていました。
音楽で応用するとこんなふうに解釈できるのかーと私も新鮮でした。

最近ソロでおどっていてばっかりだったからか、人と一緒に空間にたつことや、
相手に伝えたり、受けたりする感覚がうまくつかめなくなっていたように感じた。


稽古日誌2

今日の稽古で言われたことの覚書。
・身体の反応を待つ。
・丁寧に、繊細に。

8月の初演でやった振りをビデオを改めてみて、確認。
即興映像からおとした振り。あらためてビデオをみると、振りを人に教えたり、繰り返し踊る中でニュアンスが大分かわっていたことに気付く。
思っていたよりも即興映像の中の私の身体は軽い。
映像みながらいろいろ研究。これからかならず稽古のときは一回は流そうと思う。

8月の初演映像をおとといみて、もっとじっくりみせたいと思うシーンの振りのアイディアだし。
「黒」を見つめるということ。
即興を演出にみてもらい、印象にのこったところを聞いたり、方向性を話あったり。
絵とかビジュアルイメージをみたらいいんじゃないかと提案をうける。
美術館に行ってみようかな、と思う。


稽古日誌1

先週末は、新しい身体の使い方を試してみたこともあったけれど、
自分の身体がうまくまとまらず、
自分が何をしているのかよくわからなくなり、演出にも怒られる。

気持ちをあらため、今日の午前中は一人稽古。
昨日の夜、8月に初演した映像をあらためてみて、少しまとめることができたので、
すこしヒントが見えた気はする。明日になったら消えていたりしませんように。

気づいたことをちゃんと覚えて、積み重ねていけるようにこれからは稽古日誌を書こうと思います。

■自分にとってどこからダンスがはじまり、どこからダンスになるか。
稽古をしながら「(私にとって)どこからがダンスになるのか。」と昨日演出に聞かれたことが思い浮かんだ。
たぶん人によっていろんな答え方があるんだと思うけれど、自分はどこに基準をもっているのか。
「たとえば、(手であごをさわるようなことをして)これもダンスっていう人はいる。」という問いかけに、
昨日私は、「触るだけだったら、ダンスではないけど、その触る手に何か気になって、意識がわたったら、それはダンスのはじまりになると思う。」と答えた。
ダンスのはじまり、といって、ダンスになる、とはいわなかった自分の言葉がどこかにひっかかっていた。
じゃぁ、自分にとってダンスってどこからなんだ??

最近、演出の提案で音楽チームは音が自分にとって音楽になる瞬間をさがす、というワークをしていた。

それに対して、踊りのはじまりってどこにあるんだろう?
昨日の稽古で、手のひら・足の裏の意識についてよくいわれたこともあって、
今日思ったことは、
踊りのはじまりは、自分の内と外をつなぐ膜(皮膚感覚)に意識をむけることからはじまる気がする。
手のひら、足の裏は、わかりやすい外側との接点。
前回の公演のときは、場所によって、身体がうける変化に意識をむけることから振付をしていったシーンがある。自分の外側(風景)のイメージを変えて、それによってうける身体の変化をつかんでいくこと。

接点に意識をむける。
ダンスのはじまり

質感をとらえる。その質感に身体を変化させる(意識的)
=身体表現

その身体・質感になることや、いくつかの変化を持つ中で、何か思いがうまれて、
身体が無意識にうごかされていく。
それがダンスだと思う。

そんなことを今日思いました。
「触れる」ということに、もっと何かヒントがあるような気がする。

■胸からぶらさげる
去年はずっと、自分のセンターは丹田と意識し、そこから手足にのびていくような身体のイメージで動いていた。年末に少し腰をいためたこともあり、少し体の使い方に偏りすぎているのではと思いはじめた。
大晦日にふとおもいたって、オランダ帰りの方がワークショップをするということで参加してみた。
そこで、「胸に手足をぶらさげる」ということをいっていた。これは多分、大学のときにやったスキナー・リリーシングのクラスで先生がスパゲティダンス(笑)といっていたボディ・イメージに近いんじゃないかなぁと勝手に解釈している。
そういえばそんなものもあったなと、思いだして、最近実践してみている。

昨日は今までやっていた身体の使い方が癖になっていて、大混乱でおわってしまった。
ので、今日はもう一度いろいろためしてみた。

胸の下に足をイメージして床をふんでみる。
床に大の字になって胸からはえる手足をイメージ=お腹・腰・骨盤あたりの力がストンとぬける感覚。
胸で線を描くように動いてみる。
ウルトラマンのボタンがついてるようなイメージで、胸から動く。(高さ、方向など様々な向きへ)
床からのぼったり、おりたり。

あまり考えずに動くようになると、けっこういままでにない通り道をとおったりもした。

最近身体が重いけれど、しばらく一人稽古のときは意識的に身体を動かすようにしていこう。


音楽リハ。メンバー紹介。














昨日は『海を歩く』公演の音楽メンバーと音楽室でのリハーサル。
(公演の詳細はこちらから

ピアノ、パーカッション、コントラバス、バイオリンという編成。とても素敵なメンバーです。

今日は今回作曲・演奏をしてくるsylian rue (シリアン・ルー)のメンバーをご紹介。

シリアン・ルーのリーダーの西川裕一さん。
今回の楽曲は主に彼がつくってくれています。踊りに曲をつけてもらうのではなく、作品について意見を交換しながら、一緒に作っていけるのはとても刺激になります。音楽と一緒にやることになったのは、西川さんがStudio Dansageの私のクラスにきてくれたのがきっかけ。自身の創作や身体、表現に真髄に向き合う姿が素敵です。

西川 裕一 / Yuichi Nishikawa
Vocal / Guitar/ Synthesizer/ Programing/ Words/ All Direction & Produce

1980年生まれ。愛知県名古屋市出身。高校卒業後、上京し音楽活動を開始。同時に楽曲制作を始める。しかし20歳で原因不明の全身痛を発症。帰郷し闘病生活に入り、その中でさまざまな西洋医学や東洋医学、代替医療、瞑想などを体験し、心理学や東洋哲学と出会う。この経験が sylian rue の作風を決定付けることになる。完治の兆候が見られないまま、25歳で再開を決意し再び上京。いまなお病と、それを持つ自分自身と向き合いながら創作を続けている。
内省的な作風を主体とした作品を制作。徹底した個人的風景を描くことで、転じて普遍的・社会的なメッセージをそこに浮かび上がらせる手法を取る。
現在は楽曲制作やライブとともに、コンテンポラリーダンスとの活動など表現ジャンルを越えて意識の共有できるアーティストと作品を創作している。

パーカッションの若鍋久美子さん。通称、マメちゃん。
いつもいろんな民俗楽器をもってきて、いろんな音で様々なリズムをだしてくれます。演出家のだす提案にいろんな音の出し方を積極的に挑戦してくれます。良い音をみつけたときの嬉しそうな顔が印象的。とてもまっすぐに話をきいて、素直な反応をしてくれるマメちゃんです。


若鍋 久美子 / kumiko wakanabe
Percussion
東京芸術大学卒業。sylianrueの活動の他、フリーランスの打楽器奏者としてオーケストラ、吹奏楽、室内楽、打楽器アンサンブル(打楽器トリオTripcyメンバー他)などジャンルを問わず活動中。また、特別支援学校での楽器指導や、親子対象のワークショップも行っている。

バイオリンの松田彩さん。
現役大学生です。クラシックも現代音楽もひいて聞かせてくれました。今回は松田さんが作曲してくれたメロディーも演奏予定という話。おとなしい印象だけれど、内側に何か凝縮されているものがある気がします。バイオリンの上へと昇っていくような響き。ほかの楽器とあわさってどんな音色をみせてくれるのかが楽しみです。

松田 彩 / Aya Matsuda
violin
東京音楽大学四年在籍。
これまでに、天満敦子、荒井英治、久保良治、井上將興の各氏に師事。

コントラバスの廣瀬達也さん。
まだお会いして間もないですが、とても柔らかい印象の方です。はじめてお会いしたときに、自分はメッセージを伝えたいとかじゃないんです、と話してくれました。音に耳を傾けて、反応することに全身を集中させたいというような話しや、自分の大切にしている部分を最初に話してくれたとき、穏やかな中にはっきりとした意見をもっている方だなと感じました。
廣瀬 達也 / Tatsuya Hirose
Bass
いくつかのバンドやサポートを経た後、2011年までradi strandで活動。同年末よりSylian Rueに参加。コントラバスを水谷浩章氏に師事。

こうして一人一人の印象を紹介していると、それぞれに違う身体のイメージがうかんできて、おもしろい。
ひとりひとりの印象って、重みや、ひろがりや、密度や、印象の方向(内とか外とか)があるなぁってきづきました。


愛着

今日、教えの前に一人でバレエのレッスンをしていたら、
ふと窓のそとから、遠くの木のてっぺんにアオサギがとまっているのをみつけました。

おととしの作品をつくっていくときに、
自分の記憶の場所ということを課題でだされて、
私は小学2年生のときの教室ということで、創作をはじめた。
そうしたら教室の窓からみたシロサギのことを思い出した。
大雨のなかじーっと丸くなって木にしがみついてたシロサギの絵が鮮明になぜかよみがえった。
その夏を自分の創作と一緒にシロサギのことをよく考えていたから、
そのときからサギは私にとってなんだか愛着のある鳥になっている。
特に創作途中であわじ島にいったときは、車で走っているとサギをみつけると、
すかさずサギ!とみんなにいっていた。

見つけるたびになんだか、ほわっとする。
なんだか、温かくなる。

ダンスの喜びはこんなとこにもあるのかもしれないと、思った。
作品をつくることで、自分にとって大切なものが増えている。

忘れてしまうかもしれないものを、手にとって、よく見つめて考えてみる。
創作のときは苦しい気持ちもあるけど、こうして時間がたっても、大切に思えるものがあることは、
自分を幸せにしてくれるな、と思います。

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

今年は、小さな積み重ねを大切に、
頑張っていきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。