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音とダンス、身体の重さ

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音楽チームとリハーサル後に大戸屋でリハーサルの意見交換や確認。
こうして終わった後にゆっくりお互いの感じたことを話す時間があるのは、
とても恵まれているなと思う。
何かと時間におわれて、お互いの感じていることをじっくり聞くということができないことも多かった。
こういう会話の中にもにたくさん発見がある。

先週一緒に練習にきてくれたパーカッションのマメちゃんが、
この前のリハーサルで見つけたことを、
音の鳴る瞬間って身体の重心が移動する瞬間なんだということを思ったといっていました。
自分の重心移動と、それによって鳴る音と遊びながらやりたいと思うという話しをきいて、
私がダンスのとっかかりとしてやっていることとつながってなんだか嬉しいように思いました。

自分が迷わないように自分が夢中になれる軸を見つければよくて、
それは人それぞれポイントが違う。
自分のだす音に迷わないないために自分の軸をつくる。
人にあわせるのではなく、人のだしてきた音や世界観に自分で解釈して、
その解釈をもって堂々と音を出す。そんな話をPAの川久保さんがいっていました。
ダンスで、私もぶつかってきたことと同じだなと感じました。
演出家と振付家のときや、振付家とダンサーのときや。
舞台にたつのは自分で、そこにいる自分が納得できていたり、集中できなかったりすると、何もうまれない。

その日、演出の上本さんにすすめられて、茂木健一郎さんの本でジャズピアニストの山下洋輔さんとのインタビューを読んでいました。
即興演奏のなかで、自分でもわからないところに「踏み越える」瞬間がないと曲が終われないという話があって、そこに、観客と演者の「共感回路」という話しがでてきました。
演者自身が満足感を感じているものが、聴衆にも伝染する。演者が満足できてないときは、聴衆も満足できない。
心にとめておこうと思うことでした。

あとは、音楽チームの話しを聞いていると、「曲がもちあがった瞬間があった」ということを、みなが認識しているようで、その感じは私は踊っていて、みんなのように「あそこでしょ」とはわからなくて、
音にたよるわけではないけど、次回はもっと音に感覚をのばしてみようと思いました。