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稽古日誌1

先週末は、新しい身体の使い方を試してみたこともあったけれど、
自分の身体がうまくまとまらず、
自分が何をしているのかよくわからなくなり、演出にも怒られる。

気持ちをあらため、今日の午前中は一人稽古。
昨日の夜、8月に初演した映像をあらためてみて、少しまとめることができたので、
すこしヒントが見えた気はする。明日になったら消えていたりしませんように。

気づいたことをちゃんと覚えて、積み重ねていけるようにこれからは稽古日誌を書こうと思います。

■自分にとってどこからダンスがはじまり、どこからダンスになるか。
稽古をしながら「(私にとって)どこからがダンスになるのか。」と昨日演出に聞かれたことが思い浮かんだ。
たぶん人によっていろんな答え方があるんだと思うけれど、自分はどこに基準をもっているのか。
「たとえば、(手であごをさわるようなことをして)これもダンスっていう人はいる。」という問いかけに、
昨日私は、「触るだけだったら、ダンスではないけど、その触る手に何か気になって、意識がわたったら、それはダンスのはじまりになると思う。」と答えた。
ダンスのはじまり、といって、ダンスになる、とはいわなかった自分の言葉がどこかにひっかかっていた。
じゃぁ、自分にとってダンスってどこからなんだ??

最近、演出の提案で音楽チームは音が自分にとって音楽になる瞬間をさがす、というワークをしていた。

それに対して、踊りのはじまりってどこにあるんだろう?
昨日の稽古で、手のひら・足の裏の意識についてよくいわれたこともあって、
今日思ったことは、
踊りのはじまりは、自分の内と外をつなぐ膜(皮膚感覚)に意識をむけることからはじまる気がする。
手のひら、足の裏は、わかりやすい外側との接点。
前回の公演のときは、場所によって、身体がうける変化に意識をむけることから振付をしていったシーンがある。自分の外側(風景)のイメージを変えて、それによってうける身体の変化をつかんでいくこと。

接点に意識をむける。
ダンスのはじまり

質感をとらえる。その質感に身体を変化させる(意識的)
=身体表現

その身体・質感になることや、いくつかの変化を持つ中で、何か思いがうまれて、
身体が無意識にうごかされていく。
それがダンスだと思う。

そんなことを今日思いました。
「触れる」ということに、もっと何かヒントがあるような気がする。

■胸からぶらさげる
去年はずっと、自分のセンターは丹田と意識し、そこから手足にのびていくような身体のイメージで動いていた。年末に少し腰をいためたこともあり、少し体の使い方に偏りすぎているのではと思いはじめた。
大晦日にふとおもいたって、オランダ帰りの方がワークショップをするということで参加してみた。
そこで、「胸に手足をぶらさげる」ということをいっていた。これは多分、大学のときにやったスキナー・リリーシングのクラスで先生がスパゲティダンス(笑)といっていたボディ・イメージに近いんじゃないかなぁと勝手に解釈している。
そういえばそんなものもあったなと、思いだして、最近実践してみている。

昨日は今までやっていた身体の使い方が癖になっていて、大混乱でおわってしまった。
ので、今日はもう一度いろいろためしてみた。

胸の下に足をイメージして床をふんでみる。
床に大の字になって胸からはえる手足をイメージ=お腹・腰・骨盤あたりの力がストンとぬける感覚。
胸で線を描くように動いてみる。
ウルトラマンのボタンがついてるようなイメージで、胸から動く。(高さ、方向など様々な向きへ)
床からのぼったり、おりたり。

あまり考えずに動くようになると、けっこういままでにない通り道をとおったりもした。

最近身体が重いけれど、しばらく一人稽古のときは意識的に身体を動かすようにしていこう。