今回の作品は8月の再演だけれど、そのリハーサルを通じて、あらためて身体って変わっていくんだとな感じています。
8月のときにやっていたことを、そのままやろうとしても、何か違う。
気持ちと身体がいびつな感じになってしまう。
うーん、、、と考え、一度前回はこうしていたから、という気持ちをとっぱらってみようと思った。
「こうだった」というのが、何か枠になって制限をくわえているように感じたのと、
この作品にはまだ先に深さも広さも可能性があるように思えた。
あのときに自分の心に強くあった気持ちや動機が変化したのか、
もっと自分の奥におりてきたのかは、まだわからないけど、
上本さんとやりとりをしながら、前回とは違う質感がうまれてきました。
そして、そのほうが今の身体にはしっくりくる。
既に形のあるものを、もう一度とらえなおしながら、1つ1つのシーンをはっきりさせていきたいと思う。
作品について、自分の中から出てきた言葉をかみしめながら、その奥にあるものを見つめていきたいと思う。
言葉って不思議だなと思う。
自分でいった言葉も、距離をおいてみてみると、「どういうことだろう」って思ったり、
その奥に何かひろがっているように感じる。
言葉は本質の先がちょこっと顔をだしているようなものだと、何かで読んだことを覚えている。
『「黒」をさかいに「ここ」と「むこう」がある。
「現実」と「空想(幻想)」をつなぐ身体。』
鈴木さんの絵と対峙して、作品を作る中ででてきたたくさんの言葉たち。
触る、記憶、現実、物、落ちていく物、あいだ、ひろがり、循環、変化、。。。
黒、ということを考えていた時、
西川さんが「混沌」という言葉について、
「混沌」って不安定であまり良い意味合いでは考えられないけど、その定義って
「すべてが入り混じって区別がつかないさま。」のことで、ということはすべてのものがそこに存在しているということだよね、と。
そうだなと、おもう。