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「自分の国」とのつながり

今日は6月にスタジオでワークショップをしていただいた
カナダで活動中の森本沙原さんとお話するなかで感じた
「日本とのつながり」について少し書き留めておきたいなと思います。

森本さんとは友人の紹介の紹介、、、という少々遠いつながりで知り合いました。
日本に一時帰国をする際にワークショップをできる場所を探していると聞き、
何度かメールのやりとりをして、ワークショップを企画することになりました。

森本さんに日本でWSをやりたいと思った理由について聞くと、
3年前の津波がきっかけなんです、と話してくれました。

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一昨年まで7年間、帰国をしていなくて、日本を離れていることに
後ろ髪ひかれるようなことは何も感じていなかった。
でも、3年前に津波があったとき、他の国ではなくて、
「日本で起きた」ということに想像以上にショックをうけて、
その気持ちを考えたとき、「生まれた故郷だから」こんなにショックなんだって気づいた。
でも、すでに日本とのつながりもほとんどない自分は、自分から何か行動しないと、
自分と日本のつながりはどんどん疎遠になってしまうと思って、何かしたいと思った。

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『私のベースはカナダだけど、せっかく気づけたコネクションを大事にしたい。』
という沙原さんの言葉には柔らかな中に強いものがありました。

森本さんは13歳からバレエスクールに留学して、
卒業後も海外での生活を続けていたので、海外生活のほうがもう長くなります。
そうなると生活習慣や文化も住んでいる国のほうに馴染んでいくのが自然だと思います。
それでも見た目は日本人だし、まわりからも日本人の対応を求められる。

日本人と接する際に自分では気づかないうちに、
失礼な態度をとっているんじゃないか、と思うようになったそうです。
例えば、英語で話しているとき。

自分は物事をずばずば言う人ってわけじゃないけど、
日本語で同じような感覚で話してしまうと、
『けっこうハッキリ言う人だね。』っていわれてしまう。
そういうことに無自覚なのはよくないなと思ったそうです。

こういう「自分の国籍」と「自分の生活文化」みたいなことがすこし乖離してしまう状態って、
程度の差はあっても、今の時代、共感する人は結構いるんじゃないかなと思います。
どんなに別の国に馴染んでも、自分が「日本人」ということは、切り離せない。

6月のスタジオショーイングで出演していた関川恵さんとお話していたときも
同じようなことを感じました。
関川さんはアルゼンチンのお母さんと日本人のお父さんのハーフ。

「いろんな国にいったけれど、日本が一番心地良い!」
とこんなにはっきりいってくれる人もそういないなぁーと思うくらい、
澄んだ言葉でいっていたのが印象的です。

「自分の血のなかに、まわりとは違うテンションのものが確実にあって、
若い時はそれで悩んだりもした」と話してくれました。
たしかに関川さんからはラテンのリズムというか、「明るさ」を感じます。
そういうからだに染みついたリズムみたいなものってあると思う。

私は留学してはじめて「日本のからだ」と知られている「舞踏」という
踊りがあることを知って、それから「日本のからだ」と「文化/おどり」について
いろんな人の英語の文献を読むことになった。卒論もそういうことを書いた。
そんなふうに、あらためて自分のなかにある「日本」をみるようになりました。

私のまわりだけでも、いろんな形で国をまたいでいる人がいます。
同じ時期にイギリスに渡った幼馴染みはいまもイギリスで活動しています。
今年になってひさしぶりに会ったとき、ようやく永住権がとれたと、
ほっとした表情をしていました。

海外から帰ってきて、今日本で活動をしようとしている人。
これから海外に行く人。
座間の基地や港区のワークショップで出会う、ハーフの子どもたちやそのご両親。
きっとこれから、ハーフの人も海外で暮らす日本人も、
日本に住む外国人も増えていくんだろうなと思う。

自分のからだに受け継がれているつながり。
そことどう繋がっていくのかは、向き合い方は様々かもしれないけれど、
私たちが向き合っていくべきものなんじゃないかなと思います。

この記事を書くにあたって関川さんとメールでやりとりするなかで、
彼女がこんなことをいっていました。

「いろんなものが新しくなって国や性別の垣根がどんどん無くなっていって、
いつか世界が究極にフラットな状態になるかもしれないけれど、
自分の奥底に眠る「血」みたいなものは変わらない、変えられないなあと思います。
三つ子の魂百まで。
まったく違う考え方、遠い文化に興味を持って面白いと感じる心を持ちながらも、
いつも変わらない「血」みたいなものを、誇れたらいいなと思います。」

からだを見つめることは、そんな自分の中にあるつながりを
見つめることでもあると感じています。