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『ありしひ』創作ノート1

新年がスタートして、2月公演『ありしひ』にむけてそれぞれのリハーサルが進んでいます。
この作品の創作は11月のスタジオショーイングで私と小山衣美ちゃんが発表したソロ作品から
はじまりました。

この2つのソロ作品は、それぞれが今つくってみたいと思うことからつくった作品です。
私は『玄武』という昔の人たちがつくった想像上の動物の絵をモチーフに、
衣美ちゃんは自分が1日1振りを日記につけることを一年間つづけたダンス日記をもとに、
それぞれのダンスをつくりました。
(この2作品のダイジェスト動画は↓です)




この2つのできあがったソロ作品、そこで考えていたことを
2月公演のメンバーの上本・Celineとともに話すなかで、
今回の公演タイトル、日本語で『ありしひ』、英語で『what we forgot』がでてきました。

そして、その後も皆と話をしたり、一緒にワークをするなかで、
また違うイメージが引き出されたり、浮かんで来たりしています。

昨日は『ありしひ』というタイトルについて、
あらためてそれぞれが何を思っているのか、
Celineと私と上本の3人で話をしました。

私はあらためてそう聞かれて、いま自分が感じていることを、
『玄北』の創作のときに考えていたことをふくめて話をしました。
(玄北の創作の時に考えていたことは、以前こちらのページに載せました)

・・・
自分のまわりには由来(成り立ち)のわからないものがたくさんあって、
意味も知らないまま、形だけのものがたくさんある。
そういうことに、何か空っぽな感じをもつ。

でも、何にでも作られたものには意味があって、
なのでそういう成り立ちを知ることが大切だと、最近、思うようになりました。

私にとって踊ること、とくに踊りを創ることは、
頭で知識としてわかっていても、何かあいまいでわからないことを
からだでたどることで、自分にとって確かな実感にしていく。
空っぽの箱に、中身をみたしていくようなもの。
からだを通すことではじめて、目の前にあるものが自分にとって生きたものになってくる。

だから私にとって踊ることは、
自分にとって遠く感じるものの成り立ちに触れようとすることで、
それは『ありしひ』を自分とつなげることなのかもしれない。
・・・

そんなことを思うよと話しながら、自分のソロ作品と
みんなで創っていく今回の公演のつながりが、見えてきた気がします。

上本さんは、ダンスと日常のからだとのつながりについて考えていきたい、
ダンスの動きを見た人が、自分のからだの感覚が引き出される、思い起こすようなものにしたい、という話をしていました。

Celineはダンスの創作について、彫刻家が木を彫ることにたとえてくれました。
彫刻家はできあがりを頭のなかで作って彫っていくのではなくて、
木に導かれるように、余分な部分をそいでいく。
そうしてできあがった形は、最初にあった形とはまったく違う形になっている。
でもその形は、最初の形の中にすでにあったもの。
自分にとっても、創作はそこにすでにあるものを彫っていく作業なんだ、と言っていました。


玄武という生き物を通じて、自然や宇宙や生命やとても大きな存在について、
思いめぐらせた前回のソロ。

今度はあらためて、自分が日常のなかで持っているからだの感覚に引き寄せて、
もう一度考えてみたいと思っています。