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打ち合わせ&書道

今日はBankART企画の打ち合わせ。
メンバーと最近考えていることをいろいろ話しました。

そのあとに久しぶりに再会したダンサーのまことさんとお茶をしました。
私が帰国してすぐのころに作品で踊ってもらって、その後彼女はヨーロッパやイスラエルなどにいってしまい、連絡をとっていなかったのですが、先日見に行った舞台で偶然彼女が踊っていて、何かピンとくるものがあって、お話したいなと今日は思い切ってお誘いしました。
最近のこと、海外でのこと、ダンスのこと、、、などなどいろいろお話できて、
今感じていることや興味のある部分のつながりも感じれて、とても良い時間をいただきました。
5.6年の間にそれぞれがすごしてきた時間があって、こうしてまたつながって、また一緒にできることがとても嬉しい。素直な気持ちで向き合っていきたいと思います。

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金曜日に、はじめての場所で稽古をしていて、その部屋に書道が飾ってありました。
絵とかビジュアルイメージから作品をつくるのは私にあっているのかも、と人にいわれたこともあって、自分のアンテナが反応しました。

私は小学生の頃習字をならっていたので、身体を動かしながら、その教室のことが思い出されました。はんしをひいて、文鎮でとめて、墨をすって、お手本を横に姿勢を正して、緊張しながら紙に筆をおく。そういうときの自分のからだの在り方って、こうして今踊りの稽古で自分のからだに意識をむけているときとおなじようにかんじました。

墨で書いた文字っておもしろいなと思います。少し前に文字ってすごくパーソナルだなと感じたことがありました。墨はその感触をよく表す。力強さや、やわらかさや、流れや、スピード感や。その文字にどんな思いをこめるのか。

大野一雄さんの本を読んでいて、「思い」についてのことばが心に残っていた。踊りを踊るとき、自分の思いや願いをもつことが大切と思うけれど、でも自分の思いや願いって自分でもよくわからない。でもいろいろなことを考えて、わからないなりに考えることで自分の中に何かしらの新しい思いがうまれて、無意識にでも蓄積されていく。それが身体から踊りのなかで立ちあらわれるような、そんなダンスのありかたが素敵だなと思う。最近、表現しようとするというのは違うのかなという気がします。表現しようとしなくてもからだが語ってしまっていることは、けっこう自分ではわかっていないことが多くて、客観的に人からいわれることで気づいたり、踊ったあとにきづくことがあって、でもそのほうが自分にしっくりきたりする。そういうふうに最近はダンスを考えるようになっています。
あと、少し前に新井さんから漢字の象形文字についておもしろい話をきいて、そのとき文字の成り立ちは絵なのだなと思ったことも思い出しました。
そんなふうにいろんなことが自分の頭のなかをながれていって、絵じゃなくて、書道や文字から作品をつくるのもおもしろいかもしれないと思いました。そういえば、動きをつくるとき、どんなラインを空間に書くか、と動きをつくるときがある。それは紙に文字を書く行為ともつながる気がしました。