今日は高校の友人がピアノのリサイタルをするということでいってきました。
そのときからピアノをしていたのは知っていたけど、
ちゃんときいたことはなかったと思う。 クラシックの曲目は知らない曲ばかりだったけれど、
語るようにピアノを弾く彼女の姿に、ほれぼれしてしまいました。
自分で音を奏でるってとてもすごいことだなって思いました。
限られた鍵盤のなかでいろいろな音がでてくる。
手の動きがきれいだなーと思いました。
そしてとても多彩。
やわらかくなったり、やさしくなったり、小さくきざんだり、重くなったり。
最近ジャズをききにいったばかりというのもあるけど、
クラシックを弾くってなんだろうな、と聴きながらふと思いました。
プログラムにそれぞれの曲の簡単な紹介も書いてあって、
演奏者は音符と向かいながら少しタイムスリップするみたいな感覚になるのかな、
なんて想像しました。
この曲は誰がどういう時につくったもので、
そのときはどんな状況で、その音色(楽譜)をたどりながら、
そこにあるものを見つけ出していくような気分になるのかな、
とそんなふうに思いました。
音楽の専門的なことはわからないけれど、
一音一音にその音になった作曲者の想いがあって、
音楽になるんだなということを考えたりもしました。
こうして昔の人の音楽を今もきけているっていうことは
やっぱりすごいことだなと思います。
しずくがおちるみたいにとてもきれいな音が
おちてくるように聞こえた曲がありました。
水みたいに透き通った音がポツポツと、
ザワザワ流れていく音の流れの中に落ちていく。
流れていく音が大きくなってもはやくなっても
かわらず透き通った音もそこにたまっていって、
流れになっていく。
そんなイメージ。
あとフレーズが繰り返されるような曲が私は好きだなと思いました。
自分のなかで反芻できる感じがするし、ひきこまれる。
最後にひいてくれた『C.フランク 前奏曲、コラールとフーガ』というのは
そういう感じ。
最後にアンコールでドビュッシーの亜麻色の髪の乙女をひいてくれました。
この曲はたまたまだけど、私が高校のときに好きだと思った曲でした。
やっぱりこの曲好きです。
休憩はさみながらも2時間の演奏会。
終わった後に『手がしびれて、、、』といっていたけど、
本当にすごいなぁと思いました。
今度音楽家とやるときは、
その人の奏でる音にもっと耳をすまして、
もっと大事に受け取って、
その人が見ている世界を想像できたらなと思います。