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住む国を選ぶということ

もう一つ、今回旅をしながら思ったのは「移住」ということ。

今回KLでお世話になったイギリス人の友人はマレーシアに1年だけ滞在するつもりできたといっていた。それが2年となり、今3年目になろうとしている。
ここに居続けるのか、イギリスにもどるのか、まだわからないといっていた。いろいろ話しながら、どこに自分が居るべきなのか、どこにこれから行くことになるのか、これからどうなるのか不安になることがあるといっていた。
彼女のお父さんはマレーシアで働いていたけれど、今年から日本に仕事がうつり、これから10年くらい日本に滞在することになっているそう。

シンガポールにすんでいるマレーシアの友達は、シンガポールに来る前はフィリピンで1年くらい仕事をしていたといっていた。今シンガポールで2年目になり、できればマレーシアに帰らずにシンガポールにいたいけど、永住権をもっていない自分は、会社で契約をきられれば帰らざるをえなくなってしまう。上司からいろいろ不当な扱いもうけるけど、シンガポールをはなれたくはないので、おとなしく聞いているという。
シンガポールという国も、とても国際的な国。半分くらいは外国人なのではないかといっていた。その外国人の大半は1,2年で次の国へと去っていくといっていた。私の友人も外国人仲間ができて、いつも一緒に遊んでいたが、その全員がすでに他の国にさっていってしまったと、さみしそうな顔をしていた。

彼女は今は少し落ち着いた気持ちになっているが、シンガポールにきたばかりのころは、まるで海の上を木の切れ端にしがみついて漂ってるみたいな、不安定な気持ちだったといっていたのが印象的。”floating”という言葉が彼女からでてきたけど、私もそう感じるところがある。
どこにでも行ける自由は、どこにもとどまれない不自由でもあるように思う。
どこにも根ざす理由が見つからず、流れ続けていく、そんな感覚はもしかしたら多くの人がもっている感覚なのかもしれないなと思う。

彼女は永住権の申込を来週しにいくということで、私達の見送りにくるときに近くにあった大きなお寺にお祈りにいっていました。

ダンサーとしてであれば、外国のほうが住みやすいのではないかとか、むこうでオーディションはうけなかったのか、と聞かれるけれど私は大学を卒業するころには日本に帰ろうと思っていた。3年いて友達もできて、住み慣れた街になったけれど、いざ働こうとなったときのビザの問題や、いろんなところで感じる「外国人」としての自分という立場が、どこか不安というか、頼りなく感じて日本に帰ろうと思ったという部分が大きい。

でももしかしたら、国とか関係なく、自分の居場所(国とか地域とか)を失った感覚は今の私達はどこにいても持ってしまっているのかもしれないなということを感じた。

どこでだって、覚悟をきめて一つ決断するということなんだと思うのだけど、
でもなかなか踏み出せなかったりしている。