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ワン・マレーシア、多民族ということ

今回、なぜマレーシアにいったのかというと、留学時代の親しい友人がマレーシア人だったこと、
その友人のつながりから留学時代に多くのマレーシア人と知り合いになったこと、TPAMでマレーシアからきていたBilqisと会い、彼女のもっているレジデンス・プレイスのRimbun Dahanに興味があったこと、マレーシア行きの安い飛行機チケットがとれたこと、、、などいろいろな要素がかさなって、今回いくことにした。

そして行く先々でお世話になった人達と話したことが、とても大切だったなと思う。
いろいろな話がでていたけれど、少しづつまとめていけたらと思う。

マレーシアはマレー人だけではなく、中国系移民、インド系移民と多民族国家。
まちの中のいたるところに「ワン・マレーシア」のスローガンのポスターが貼られていましたが、これは、「ひとつのマレーシアとしてもっと発展しよう」と願いとともに、2009年4月に任命されたマレーシアのナジブ首相が8月の独立記念日に向けて発表したスローガンだそうです。

さて、今回はマレーシア旅行中で感じた「多民族国家」ということについて、少しかいてみたいと思います。

私の友人はおじいちゃんの代に中国から移民してきた中国系マレーシアの子でした。マレーシアではマレー人への優遇政策がとられていて、中国系の彼女はその不平等な扱いによく不満をもらしていました。マレー人は優遇制策をもらって、ただの怠け者だというようなことをいっていました。マレーシアには帰りたくない、マレーシアからでたいとよく話していました。彼女は今はシンガポールで働いています。

マレー人優遇政策というのは、土地や建物の売買、公務員の採用、大学入試など主な産業面においてマレー人を優先・保護しているそうです。

私は彼女からよくそんな話をきいていたので、私のマレー人のイメージは国に守られて裕福な暮らしをおくっている人々というふうになっていました。

そして、今回クアランプールにいる間にお世話になった友人(彼女はイギリス人)から、4月にあった公平な政治をもとめてデモがあったことを聞きました。

リンクした記事に「デモは市中心部の独立広場周辺で繰り広げられた。警察は広場にバリケードを張り、デモを阻止しようとした。だが、市民は突破し、一部が警官隊と衝突した。警察は催涙弾と放水で鎮圧を図った。」と書いてありますが、友人から聞いた話では、デモは独立広場に集まり無暴力的なものだったが、それを政府が市民が騒動をおこしたようにしたてあげたようなものだといっていました。広場にあつまった市民たちは、バリゲートにかこわれ、催涙弾をなげられ、逃げ惑う中、バリゲードをやぶったと警察につかまっていったんだという話を聞いた。

そんな話を聞いた後、Bilqisと夕飯を食べながらもこの話題になった。

Bilqisはオーストラリア人とマレーシア人のハーフで自分の実家の地域の様子について、マレーが住んでいる地域でとても市民たちは貧しい、という話してくれた。教育もまともに受けれない状況があって、だから良い仕事にもつけない。独立してから50年、まったく状況がかわっていないといっていた。この50年で変わったのは、一部の裕福なマレー人だけであって、50年変わらず貧しいままのマレー人もたくさんいるといっていました。私が中国系の友達から聞いていた話をすると、彼女はすこし悲しそうな顔をしてマレーシアの歴史事情を説明してくれた。

マレーシアで優遇制度ができたのは、独立当初産業やビジネスの中心にいてお金をもっていたのは中国系移民たちで、地方にすんでいたマレー人の多くは農村・漁村を営んでいたため力が弱かった。その均衡をはかるために優遇政策がとられたそうだ。ただ、その後一部のマレー人がその優遇制にのっかり、権力をもち、富を築く一方で、大多数のマレー人の暮らしは変わっていないというのが彼女の意見だった。ともかくマレーシアの政府はどうしようもない、ということをいっていた。(マレーシアのこうした優遇制度についてかかれた記事をネットでみつけました。興味のあるかたはこちらへ。)
とても近代的なツインタワーや高層ビルの裏にみえた古いままの路地のことを思い出す。みんなそれぞれが複雑な想いをかかえている。

すぐ隣りにある自分とは異なるものとどう関係をつくっていけるのか、共存していけるのか、そんなことをAAPAの活動を通じてかんがえてきた。マレーシアでは人種・文化という単位でそういう問題がある。それぞれの人種はそれぞれのコミュニティがあって、あまり交じり合っていないといっていた。これからどうなっていくんだろう、と思う。

こうして他国にでると、日本人は単一民族の国なんだなということが、特別なことに思えてくる。でも日本もこれからどんどん多民族化していくのかな、ということを思った。
「違い」をどう受け止めて乗り越えていけるのかは、やっぱりとても大切な課題で、考えていかなきゃいけないと思う。
私はそれを「ダンス」でしていこうとしているのかな、とそんな気がしてきました。

独立広場からとった写真