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記憶の創造

この前読んだ『体の中の美術館』(著:布施英利)の中で、枯山水について書かれていた。

本に書いてあった言葉↓
『そこにあるのは、小さな岩と砂だけである。

似ていないからこそ、風景のエッセンス、その気分を正確に引き出してくれた。枯山水は記憶の再現ではなく、記憶の再編集、もっといえば記憶の創造だった。』

これを読んだとき、おととし『踊りに行くぜ!』の公演で福岡にいったときにたちよった、あるお寺の枯山水のことを思い出した。たぶん、ちゃんと枯山水に感動したのはそのときがはじめてのように思う。緑や岩、小さなお地蔵さんもたくさんおいてあって、珍しい印象だったのと、そのお庭がつくりだしていた空間がとても心地よくて、しばらく眺めていた。



何を思い出していたかはっきりと覚えていないけど、たしかに私はそのお庭でそこにはない風景に身をゆだねていた。海とか風とか、そのときに思い描いていた感触みたいなものは覚えている。
抽象化されたものの中で創造しているのは観ている側。
そういう観る側との関係を作り出せることがとても素敵なことだし、
可能性のあることだとあらためて感じました。

今まで作品を作ってくる中で、『自分は何をつたえたいのか?』とばかり考えてきたけれど、
お客さんにどういう時間を届けたいのかを、次の創作にむかうときには考えたいと思う。