ページ

週末&稽古日誌3

昨日は宮内庁での雅楽演奏会にご招待いただき、はじめていってきました。
皇居の中はとても気持ちの良い公園、花と芝生と緑でかこまれて、ゆったりと良い朝の時間でした。

午後からは、ワークショップ&リハーサル。
踊る中で自分に自然に身についているものでも、人に教えることであらためて気付くことがあります。
ワークショップでは、身体の力をぬいて、動きの通り道をつくること。
股関節の力をぬくということ。
骨盤をたてるということ。
足の裏のいろんな場所に体重をのせてみるということをしました。
自分の姿勢を客観的にみつめて、よりよりアライメントにするためのお手伝いをしました。
どうやら下腹の筋力に課題がありそう、、、というのがわかったあたりでボディ・ワークはおしまい。
最初きたときよりすっとたてている、しっかり地面をふんでいる感覚があると声をもらいました。

こうして、自分の身体を整えたり、探ったりするヒントを伝える。
そういうワークショップやクラスのあり方を考えています。
ダンスを学びながら自分で思うのは、自分の身体は自分でケアしていけるようになるのが一番いいと思うということ。
私がクラスを通じてできることっているのは
参加者の方が自分の不調や不具合にちゃんと目をむけ、感じられるようにする。
それをどうしたらいいのか、そこにむかいあうためにどういう方法があるのかを、可能性を伝える。
それを一緒に試す時間を用意する。
そういうことなのかなと感じています。

私はお医者さんではないので、治療は無理だけど、
自分の身体を聴く方法を、伝えていければいいのかなと思う。
それは、身体的でも、想像力や感性でも同じ。
イギリスでダンスをならっていたときそういうことは、自分にtune inするっていっていたけど、
日本語だとどんな言葉がいいのかな。
まだよくわからない。
身体を聴くって言葉はあっている気もするけど、
ちょっと瞑想的なというか、抽象的な印象になってしまう気もするし。
言葉ってやっぱり難しいな。

========

週末に自分たちがどんなダンスを作っていきたいのかを考える。
ずっと前から、
「ダンス」と「物語」
「動き」と「ストーリー・言葉」という話はでてきているんだけど、
それが何なのか、はっきりわからなくて、いろいろ試してきている。

よくよく自分のやってきたことや、言ってきたことを思い返すと、
動きから、ストーリーが想像されてくるようなダンスがやりたいと、
2006年にリビングルームという作品をつくったときから言っていた。
それで今もそれはかわっていないんだなと、あらためて思う。
表現の仕方はかわっているけど。

でも、動きからストーリーがでてくるってどういうことだろうって、考えてきた。
自分の経験したこは、身体の記憶でもあるから、
「動き」が「その身体の記憶」、
「その身体がもつ固有のストーリー」とつながっていると思って、
普段忘れてしまっている、でもそこにある、そのストーリーをひきだす行為が、
想像力で、大切なんじゃないかと思っている、、、のだと思う。

「足跡」での創作で「自分がいつもやるような、自分の身体を整えるような、
エクササイズをするような感じの動きをつくってほしい」
という課題からつくった一連の振付があって、
今回はその動きにどんなストーリーがイメージできるか、
という問いかけを上本にされ、一緒にかんがえてきました。
これがなかなか、難しく。。。

土曜日に動き一つ一つに、こんな感じがする・こんなイメージがわく、仮にこう考えてみる、という形で、
上本と対話をしながら、動きについて考えてみる。
そういうなかで、ある一連のフレーズが一つ自分の記憶にある出来事と結びついていった。
でも、それは全体の中の一部分なので、そのイメージが持続できるわけでもなかった。
上本から何度やっても、あまり動きが変わらない、
でてきたイメージを具体的に伝えるということを拒んでいるように思えてしまうといわれる。
なやみながら終了。

次の日、上本からの提案もあって、一連の動きを上本にすべて振り写しをすることにした。
動きの中ですでにイメージがみつかっているものは、そのイメージの言葉もふくめて。
そうして、振りを写す中でも少しずつ、言葉がかわっていった。
上本から、自分で動く中でイメージしたことをきいたり、動いているのをみたり。
繰り返すうちに、上本からでてきた言葉やイメージが、ヒントになっていった。

夜の稽古であらためて、自分のなかにでてきた記憶と想像で振付を考え直してみる。
そうしたら、スルスルとイメージがつながって、
自分の記憶にある断片と、想像の断片がつながって一つの形ができました。

記憶(実際のイメージ)と想像(空想のイメージ)があるというところに、
何かあるような気がします。