昨日は音楽チームと合同リハーサル。長時間リハーサルでしたが、はじめて通しもできて、
本番にむけてつめていくべきところがはっきりわかりました。
来週の火曜日にまた合同練習。
今日は昨日の課題にむけてリハーサル。
今週末に考えていたことのメモ。
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先週、あらためて作品を通して何を伝えていきたいのか、ということを考えていて、
去年の手帳に書いてあるメモを読み返していました。
去年の手帳は半分以上が創作メモになっている。
そんな中に書き留めていたこと。
「舞台が語る場になるということ。
つくりあげられたフィクションではなく、
誰もが語ることのできる自分のストーリー(人生)がある。
それを人に伝え、人と共有する場になる。
ダンスを通じて自分の身体に目をむける。
自分の価値観に目をむける。
それを身体を通じて伝える。」
自分にとってダンスが何かということが、かわっていったのは、こういうことだった。
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「海を歩く」の創作で、であった村上春樹の「卵と壁」のスピーチ。
それをたどっていって、彼が語った言葉を私がメモした言葉。
「現実を受け入れることによって、
そこに幻想が生じる。
幻想を生じさせることによって、自分を状況にあわせて異化し、
サヴァイバルする。
現実と幻想の明確な境界線が消滅していく」
「現実」と「幻想」そのことを「海を歩く」を創作しながらずっと考えてきました。
言葉にできるまではあともう少し、何か必要。
でも、自分が感じていたことや、もやっとしていたことが
すこしずつ、手に取れるようになってきているように思う。
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昨日、上本さんが早稲田大学の演劇博物館でやっていたダムタイプの企画展にいってきて、
ダムタイプの作品「S/N」の話をしながら、
ダンス作品や舞台作品について話しをしました。
誰に何をどうやって伝えたいのか。
アートは価値観をつたえるもので、
作品を通じて、舞台で問題提起をして、
その解決策を提示する。
それを提示することと、作家である本人の行動が一致していくこと。
だからこそ、ちゃんと社会に影響を与えることができる。
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私は、ダンスをしながら社会に無関心になっていたことに、ふと気づいて、
それに気づいたとき、どうにかしなきゃと思いながら、
外での出来事を自分のようにとらえることができなかった。
だから何もする気がおきなかった。
でも、それではまずいとわかっていた。
どうしたら外との関係を自分でみつけていけるのか。
そう考えたら、まず自分の身体をもって一つ一つ実感を探していくことからしかはじまらないとおもった。
自分のこととしてとらえられること。
そこからでしか、行動にうつせない。
そういう気持ちから、
創作をはじめました。