かなっくホールは私の地元の横浜市神奈川区にある区民ホールです。かなっくホールとのお付き合いは、私が帰国した2006年にかなっくホールの『区民募集企画』に応募したのがきっかけなので、かれこれ6年になります。
2006年に応募したときの企画は通らなかったのですが、神奈川区の若いアーティストをサポートしていきたいと、連絡をいただいたことからはじまりました。AAPAの公演にみにきてくださったり、横浜で私がひらいたWSを見学にきてくださったり。ホールフェスティバルで音楽家スズキキヨシさんと一緒にパフォーマンスをさせていただいたり、今年は親子ワークショップをさせていただきました。
私も何かかなっくホールでできないかと思いついたときには、連絡させていただいたりします。ホールの特色・地域性から、お話しても実現できない場合もありますが、こうして話しをしていくことで、いろいろと考えたり学べることがあります。
日本全国に舞台芸術のためのホールはたくさんあって施設も充実している。それなのに、なかなか舞台芸術に携わる人の仕事が成り立っていないのは、変えていかなくてはならない課題だと思う。でも、ゆっくりと変わっていく・変わっていっているのだとも思う。
=====
(去年AAPAが黄金町でパフォーマンスをしたときに、お話したときのことです)
横浜は一方で黄金町エリアやみなとみらいエリアで前衛的なアートをしているけれど、かなっくにいて感じるのは、同じ横浜ですぐ隣にいるけれども、とても遠い・別の世界という感じがしてしまう。かなっくホールでも多様なアートを紹介していきたいと思っているがコンテンポラリーダンスにしろ、コンテンポラリーアートにしても、コンテンポラリーとつくものは、地域の人たちにとってどういうものかイメージしにくく、なんだか難しそうというイメージができてしまっていて、関心をひくのが難しいという話がありました。
この「分からない」をどう超えていけるかというのが課題だなぁと最近本当に思う。すぐ隣にあるのに、共有できないこと。
「コンテンポラリー」は意味としては「同時代の」という意味で、その「今」とか「時代」ということを考えて、それをよりよい方向に変えていくために、ダンスという表現のなかでそのきっかけ/流れをつくっていくことなんだと思う。「今を切り取って、未来をつくっていくこと」だと思う。
見ることも、創ることも、一部の人達のための特別な物ではなくて、誰もが自由な発想を広げ、そしてそこで語り合うこと・協働して形にする場として「コンテンポラリーダンス」があるのではないかなと思う。そうすれば、普段は見過ごしてしまうものや、フタをしている感覚の中からあらためて大切なものに気づいていける気がする。そういうあやふやなものを、あらためて手にとって、見つめ、考え、形にして、それを人と共有していくことで、個人と個人がつながって、次にむかう流れができるんじゃないかという気がする。
創作・表現ということは自分が感じていることをまっすぐにつなげていくことだと思うし、それを人に伝え、語り合うことで、自分と外とのつながりを見つめていくことができる。そこから、これから自分たちがどういう世界をつくっていくのかということにかかわっていける。個人の声をひろって、つないでいくことがとても大切な気がします。その個人個人の共有部分、共有感覚や共有課題をみつけていくこと。
でも共有部分を見つける前に個人の声をどれだけ大事にできているんだろう、と思います。
自分の考えていることや自分自身のことは自分でわからないことがたくさんある。
それでも、そういう自分が何を感じ、考えているかということを、ちゃんと持って、伝えていけるようになることがまずやらなければいけないことだと、今思っています。
最近、ヨガや健康など、身体について人の関心もダンスそのものに対する人の関心も高まっているように感じます。創作・表現というと、何か壁ができてしまうかもしれないけれど、身体づくりも健康づくりも、なりたい自分を自分の身体でつくっていくということで、りっぱな自己表現だなと思う。ただ、どういうふうに自分がなりたいのか、どういうふうになるのが自分にとって気持ちよい・心地よいのかというところをどれだけしっかり考えられているかがポイントになるのかなと思います。
そういう思いから、最近クラスでインストラクションするときに各自の感覚・体感・想像力に意識をむけてもらえるように心がけています。そうやって自分の身体を動かしながら自分の感覚を確認したり、実感したりすることが、私自身のダンスとの付き合い方でもあるし、多くの人に今伝えたいと思うことです。