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Dance Box公演を終えて

昨日は高校の友達の結婚式にいってきました。
きれいだったなー。
幸せそうな2人に、心からおめでとう、と喜びで胸がいっぱいになりました。

先週は火曜日の夜行バスにのって神戸に。
新長田のdance boxでAAPAとsylian rueのメンバーと一緒に創作をしてきました。
泊りがけで、メンバーとゆっくりと時間をとれたことがとても貴重だったと思います。
なかなか東京でリハを重ねていても話しきれないこととかも話すことができたし。

金曜日の夜には試演会ということで一時間のパフォーマンスをしました。
今回は「サーカス」というテーマで東京での打ち合わせやリハーサルで各自がつくってきた要素を会場で、
みんなで考えていきました。

今回は音楽家3名、
ダンサーの私と、
言葉と日常の身体でパフォーマンスをする上本の
異なる存在からたちあげるパフォーマンス。
個々でいながら、全体になること。
舞台と観客というはっきりとした境界線ではなく、展覧会場のようなものをめざしました。

それぞれの立ち位置をかえたり、向きをかえたり、
客席の作り方をかえたり、
最終的には、劇場にあった木の箱(客席をつくるときに使うもの?)を会場に散らばせて、
空間をでこぼこさせて、
お客さんも好きな場所からみてもらえるような形にしました。

空間がきまったところで、内容についてはどうメリハリをつけるか、抑揚をつけるかというところで、
音楽チームはさまざま試行錯誤。
私と上本は言葉とダンスのありかたについて試行錯誤。
木曜日の最後はうーん、、、となっていたけど、
考えきった先によりよいものができあがっていく。
そんな時間を共有できたのはとてもよかったです。

今回の本番は、いままでの感覚とすこしちがく、
とても新鮮でした。
お客さんが少なかったのですが、
広い会場にお客さんも演者も点々といて、ゆるやかなサークルみたいになっていて、
正面がない。
でも、お客さんも演者のみんなもどこにいてっていうのが把握できながら踊っていました。
今回は流れやストーリー、振りはきまっているけれど、そこからその場その場の自由も与えられていたので、
即興パフォーマンスのときの自分が舞台にたっている感覚に近い精神状態だったように思う。
外との関係のなかで自分の言葉をだす、というか。
ある意味とても冷静な自分もいて、
そこに生まれてきた動きに、身をゆだねるか、
その先に用意していた振付にもどるかという考えが浮かんだ瞬間があったけれど、
身をゆだねてみる決断をできたことが、そうしてその時に生まれてきたひとときがあったことが、
とても大切なことのように感じています。
そして、そういうことができたのは、それをできる環境をお客さんのみなさんもふくめて作ってくれていたということ。
見る・見られるという関係があって、
生まれるものがあるんだなということを最近つくづく思います。
身をゆだねた先に、私も何があるのかわからないけど、私はみたいと思っていて、
でも一人だったり、そこにいくことが受け入れられていないと感じたら、私はそこにいってみる勇気はなかったように思う。
一緒にみていてくれている。そんな感覚があったからこそ、私は身をゆだねることができたように思う。

こうして言葉に書くと、なんだか素晴らしい瞬間があったように思われるかもしれないけど、
実際それが、どんなふうにみえていたのかは私にはわからないし、
見た目的には地味なひとときだったのかもしれない、と思う。

でもそういう経験をできたことで、ダンスの可能性をあらためて感じました。

ダンスボックスの皆様からも様々意見・感想いただき、課題は感じますが、
今回の試演会をスタートに新しいカタチをみんなで探していけたらと思います。