ページ

言葉

26日のワークショップは無事におわりました。3クラス受けてくださった方、お疲れ様でした!1クラスだけでもいいですか?と忙しい時間の中、足をはこんでくださった方、ありがとうございました。
今度つくば企画で一緒におどるまりこちゃんも突然の誘いにもかかわらずきてくれました。ありがとう。

ワークショップでは各クラス、違う内容であっというまに時間がたちました。楽しかったし、勉強になりました。たくさん踊ってくれてありがとうございました。

今日はずっと前にいつかブログでかこうとおもってメモしておいて、ずっと放置してしまっていた、『言葉』について書こうかなと思います。


以前、ブログで『若き俳優への手紙』をみにいったことを書きましたが、その当日パンフの中で宮城聰さんが書いていたことです。作家であるオリヴィエ・ピィ氏に脚本の翻訳をした際の会話を引用して、『言葉』についてかいていました。

=======

日本語の『言葉』という言葉はkotoとhaからきている。haははしっこ。kotoはもともとそれだけで言葉という意味だった。
ハははし、へりと考えてみると大きくてしかも見えない本体の一番外側が目に見えるように現れたもの。
コトの母音は二つともオで、オという音が持っているニュアンスは大きいけれど内にこもった感じ。
外部にむかって開かれていないかんじ。
ハはハッという掛け声やハッとするという表現にもあらわれているように外部にむかって開かれている、発せられているニュアンスをもつ。
コトという人の内部にある大きな、でも形のないものの片鱗が見えるかたち・聞こえる形をもってそとにでてきたのがコトバ。
はしっこからたどるからモトにいける。
コトバによってしかコトに触れられない。

==========

数年前大学の先生のお手伝いで手塚夏子さんにインタビィーをしたことがありました。
そのときに手塚さんも身体の「表層」と「深層」ということについて話していました。

表面だけをすくいあげて、コトにふれなくなっている。
私たちがみえているものはすべてコトのはしっこ。

人が物をつくってきたのは、見えないものをなんとか見える形に、触れられる形にしようとしたからで、
だから人は必然ではない『作品』というものをつくってきているんだろうなと思う。
その作者にとってはそれを形にすることが必然だということなのかもしれないけど。

ワークショップでも1つの課題として『イメージと言葉』ということで『言葉から自分の動きを探る』ということをやってみました。言葉はダンスのうえで何か大事なものがある気がしています。
上に書いた宮城さんの話は、すこし自分から離れていたのですが、ワークショップで、またふとくっつきました。

AAPAの新作でも、言葉や特に会話についてテーマとしてとりあげています。
昨日のリハーサルではメンバーの一人は、ほとんどしゃべりつづけていたのではないでしょうか。
私は振付をしながら人と会話するという課題をあてられました。
会話に耳がいくときと、いかなくなるとき。
話すときの身体や意識の変化。
まだ振付も覚えきれていないところもあって、大変でしたが、
練習することで、みえてくるものがあればと思う。