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残るもの

今日は午前中に東京現代美術館にいってきました。「plastic memories いまを照らす方法」という展示とフセイン・チャラヤンというファッショ ンデザイナーの展示がやっていました。
思った以上に見るものが多く、時間がかかり、次の予定もあったので、ゆっくりみきれなかったのが残念。

山川冬樹さんの映像作品があって、それが印象的でした。今は亡くなられたニュースキャスターの山川千秋さんの息子さんが、父親がのこしたカセットや映像記録をもとにつくったもの。

真っ暗な中にいくつかの小さな古いテレビと中央のスクリーンに映像や声がうつされてはぷつっときりかわる。

印象にのこってるのは、音声。音と一緒に伝わってくる振動。いろんな場所からいろんな出し方で演出されてる。遠くにきこえたり、振動を身体が感じるくらい音に包まれたり、懐かしく感じたり、緊迫してきこえたり。

記憶の断片。

流れていた山川千秋さんの声はなぜか私にも聞き覚えがあるように感じた。どこかで聞いていたのかな。

もう一つ印象に残ったのは石内都さんが撮影した大野一雄さんの写真。写真は皮膚に焦点があてられていて、入口で頂いたパンフレットには、

「石内の視線は皮膚に刻まれた皺を、時間の刻印として丁寧になぞります。長年多くの人の視線にさらされ、今もなお輝き続けるその皮膚は、記憶をやどしつつも進行形の現在として、わたしたちの前に現れるのです。」

と書いてありました。
深い皺と皮膚に、人の身体は本当に朽ちていくのだと、感じました。
でも写真にうつる皺だらけの皮膚はとても奥行きのある、思わず見てしまうものでした。
大野一雄さん。うまく言えないけれど、自分をそのまま見る人にさしだしているような、そんな印象をうけます。
直接お会いしたことはないのに、この数年はいろんな場所でふいに写真と出会ったり、彼の言葉に出会ったり、彼を知る人と出会ったりしました。
亡くなられてしまったけれど、きっとまた彼の残したものに出会うのだろうなと思う。